妻の脳梗塞
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 の妻は38歳の誕生日から2ヶ月後に脳梗塞で倒れ、手術で一命をとりとめました。

 入院中メモ用紙に書いていた日記があります。突然の脳梗塞発病がどの様なものだったか公開することにより、いま同じ病と闘っている方々の参考になれば幸いです。

 平成24年5月5日、再発。今回は左脳。症状は重く、右半身完全麻痺。左手は動くも文字は書けず、左足も動くが体重を支えるこが出来ない。言語麻痺、咀嚼麻痺で胃瘻設置。自宅と小規模多機能施設で介護中
 

 私達が結婚したのは昭和48年6月3日でした。以来長男信幸が50年1月1日、次男智幸が52年2月10日に護生し、平穏な生活を送っていると思い続けていました。
 60年8月には念願の家も建築し、親子4人水入らずの生活設計等頭に描いていました。そんな私達に予期しない大きな試練が訪れてしまいました。
 今にして思えば.それまでが平穏すぎ、さしたる苦労もしていない私達を神様が鍛え直そうとされたのかもしれません。
 昭和61年4月18日の朝6時半頃でした。何となく変な気配で目を覚ますと、フトンの横で妻が倒れていました。「どうした」と声をかけても全く返事をしません。体を引き寄せ、頬を叩いたり、「返事をしろ!」と言っても反応はありませんでした。
 子供達もただならぬ気配で起きて、枕元で様子を見守っていました。学校に行く時間が追ってきたため、朝食を子供違だけで支度をさせ、登校して行きました。その後妻は返事をしないまま寝息をたて始めたため、横に座り様子を見ていました。この時はまだ脳に異常をきたしているとは全く考えていませんでした。
 8時頃目を覚ましましたが.症状に変化は見られず、左半身の自由が利かないのに初めて気付きました。
 ここで、脳の異常だと思い、救急車を手配しました。5,6分で救急車が到着し最初は吉原の芦川医院に運ばれましたが、頭の異常との診断で即、富士脳障害研究所附属病院へ電話を入れ転送の手配をしてくれました。
 救急車に妻を乗せるまえ、実家、妻方の本家(私の家から50m位の距離)へ電話をしても連絡がつかず、サイレンの音に気付き外に出てきた筋向かいの銘木さんに後の連絡をお願いし、急ぎ発車してしまい、後がどうなるかは全く考えている余裕はありませんでした。
 脳研病院へ到着するとすぐ.救急処置室へ搬入され私の手の届かない所に入ってしまいました。以後、妻は完全に病院へ命を預けた形になりました。
 救急処置室にいる間、ロビーで一人待っている間も、まだ何が自分達に起こったのか、起ころうとしているのか考えがまとまらず、ポーッとしているたけでした。そのうち処置室から担架に乗せられた妻はレントゲン、CT撮影等の検査のため、階上のフロア一に運ばれて行きました。ここでも、着いて行くことは出来ず、ロビーでの待機を指示され、全く妻がどういう状態か、助かるのかダメなのかわかりませんでした。1時間以上たってからやっと呼び出しがあり、病状の説明を聞かせてもらいました。
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 助かる方法は手術しかない、放置すれば間違いなく命は無いと説明され、事の重大さに血の気が失せる思いでした。
 検査室からそのまま手術室へ直行するわずか10m位の距離を担架の横について歩く間、最悪の事態が頭に浮かんでしまい、必至にその考えを振払おうとしたりしていました。
 結局手術室へ入ったのか11時頃、終わって出て来たのが19時半頃でした。
 こんな形で4月18日が過ぎていきました。
 その後集中治療窒で意識か戻らない妻と対面しても、悪い結果ばかり考えていました。そんな中で結果は分からないまでも病院での出来事を記録しておかなければと、ロビーでメモを書き出しました。
入院中、様々な方々に御心配をかけ、また様態を気遣って頂きました。入院中子供を預かって頂いた妻の御両親(義父は故人)には退院後も2ケ月間私達4人がお世話になりました。入院中毎日病院へ子供をつれてきて下さったり、泊って頂いた義弟の孝政君、宏政君。付添いを続けて下さつた初江伯母さん。主婦業か忙しい中病院への足を確保して下さつた義妹の雪江さん。義妹のさち子さんと勝亦さんには生活ペースを狂わせてしまいました。
 天野、鈴木の親戚の皆様の励まし、沼津から仕事か終わった後何回も病院へ来て下さつた宮野さん、風間さん、富士の田辺さん、静岡市からの白井さんはじめ静岡ファミリーキャンビンククラブの皆さん。藤枝時代の隣組のみなさん、妻のお友達の皆さん。1週間以上も転勤直後の仕事を休ませて頂いた職場の皆さん、3月まで居た旧職場の皆さん。
 父の関係するロータリークラブの皆さん、兄夫婦、まだまだ書き足りない多くの方々、私達はこんなに多くの人達に見守られているのだと改めて感じ、感謝の念で一杯です。
 子供達が休みに入った時期が生活に慣れるためには良い機会と考え7月26日、長い間お世話になっていた妻の御両親の家から入院以来、ちょうと100日振りに自分達の家へもどりました。
 今は、週2日通院し、リハビリに励んでいます。遅々として回復しない機能に本人も私もイライラしたりする時がどうしてもありますか、反省し本当に気長に取り組んで行きたいと患っています。       【1986.11 記
 

4月18日
 救急車を呼ぶ、到着する前に妻の実家へ電話するも出ず、妻方本家へ電話するとおばあさんが出た。お姉さんを呼んでくれるように頼む。待つ間に救急車が来てしまう。やむをえず電話を切り救急車の方へ向かう。同乗のため車に入るとき、鈴木眼科の奥さんが出てきたので後のことをお願いする。
 検査の間待機するよう言われたロビーに、妻の父が到着する。病院の近くにいたが、連絡が入り一端家に帰り来たとのこと、母が少し遅れて到着。その後、雪江さん、宏政君が来てくれる。
 その内呼び出しがあり、Dr.の説明がある。血管X線像で右動脈に塞栓がはっきりと見れる。Dr.はウロキナーゼの使用を検討してみると当初説明、後に手術に方針が決定される。
 AM11:30手術室に入る。何もしてやれない、何もできない。とにかくDr.に身柄を預けてしまうことしかできない事に情けなくなってくる。何故なのか、今我が家に何が起ころうとしているのか、頭の中がまとまらず、ただ現在の状況に自らを対応させるのが精一杯、間違いであって欲しい、夢であって欲しいと思う。妻の顔を思い、昨晩の妻の台所に立っていた姿を思い出し、頭の中に描くと涙が流れ出して来る。
 妻の事を思いだし考えていると、どうしても最悪の場面が想像されてしまう。必死にその考えを振払おうとしても、またいつしか同じ事を考えている。久子ガンバレと心のなかで叫び続ける。神にも祈る。自分の命と引き替えてもよい、妻には生きていて欲しいと思う。
 信幸は朝フトンの中で苦しむ妻を見て泣き続けた。智幸は学校を早退し、病院へ来て妻が手術室へ入ったあとずっと泣き続けていた。母がどのような状態であるか余り良く分かっていないようだが、周りの雰囲気でただならないということは感じているようだ。
 PM7時過ぎ手術窒から出て来る、通り過ぎるベッドの上の顔が少し見えただけでCT室に入る。なかなか出て来ない。CT操作室の中で笑い声がする、妻はお前達のオモチャではないぞと心の中で叫ぶ、一時間位CT室に居たと思う。集中治療室に運ばれる。エレベーターに入る前ベツドの上でもがいている。何か言いたいのか、それとも病状が悪いのか、とにかく何もしてやれない。集中治療室に入ってもDr..からの説明は全く無い。助かるのか、だめなのか、手術は成功したのか知りたい。
 PM9時頃Dr.から説明あり。栓塞はかなり長いものだったとのこと、問題は術後の浮腫、腫張と脆弱化した血管からの出血。これがなければ回復は望め、入院は1ケ月~2ケ月。後はリハビリ次第であるとの事。
 PM10時頃病院に駆けつけて下さった方々に取り敢えず帰って頂く。11時半頃うつらうつらする、宏政君が毛布と寝袋を運んでくれる。義父と二人で病院のロビーに寝る、夜中に何回も目が覚める。
 
4月19日、土、(雨)
AM6時頃目を覚ます、宏政君、朝早いのに来てくれる。お茶一式持参でいれてくれる。9時頃集中治療室に様子を聞きに行く、夜中特に変化は無かったとのこと、CT、レントゲン室へ丁度出るところ、何処へ行くのかと看護婦さんに聞いた時、目が開いたような気がした、レントゲン室から出た時「久子」と声をかけても反応なし。
 集中治療室へ帰った後、X線フィルムを見せてもらう。ロビーに戻ると初江叔母さんが来て下さっている。雪江さん、オムツカバーを届けてくれる。名前を書き集中治療室へ届ける。様子聞く、変化無いとのこと。
 宏政君、子供の事逐一報告してくれる。親戚関係への連絡も全てとってくれたとのこと、感謝、時少し過ぎに職場に電話し当分の間休ませてもらう旨了解をとる。
 13時頃、子供達病院へ宏政君に送ってもらって来る、妻の実家にお世話になっているため、1日1回は家に行き、戸締まりや郵便物等確認するよう指示する。
 妻は回復に内かっているのか、悪化しているのかDr.の説明が無いので不安。ただ、何も話の無い事は小康状態を保っているのか、とにかく何もできない何もしてやれない。妻自身の体力と回復力に期待するしかない。ガンバレ、ガンバツテくれ。
 ロビーにいても自分は病院に居るが妻は家に居るような気がする。13時30分頃、照政さん来て下さる、孝政君アルトを病院まで届けてくれる。
 15時、集中治療室に面会に行く。左半身に震せん有り、両脇に氷嚢をはさんでいる。看護婦さんに聞くと、体温が上昇しているとのこと、室に入る前、「Dr.の説明は無いのか」と聞くと、「そのようなシステムにはなっていない」とのこと、ただ、頼めば説明してくれるだろうとのことなので依頼する。
 看護婦は妻を呼ぶのに肩をかなりの力で叩く。「寒いのか」と聞くとうなづいたように見えた。「久子ガンバレ」と言うと手を握り返して来るような気がする、声をかけながら無性に悲しくなり涙か出る。
 右足をしきりにあげようとする動作をする。苦しそうな呼吸をすると心電計の脈拍が120程度まであがる。面会後Dr.からのレクチャー有り。CT像に3x1x1cm程度の出血がある。その周囲に若干の浮腫がある。ただ、昨日より状態は良く、基底部の栓塞としては症状が軽いし、これ以上出血が広がなければ命は助かるだろうとのこと。
 18時30分、2回目の面会、信幸と智幸に行かせる。看護婦は子供の面会は許可出来ないと言ったが、母親が生きようとしている姿を見せるべきと連れて行く、しかし、私の声にも子供の声にも反応なし、でも、脈拍だけは上昇する、子供は孝政君に送ってもらう。上靴洗い、給食着の洗濯、宿題のこと等指示する。
 宏政君Dr.への心付けを用意してくれる、気がつかなかった。
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4月20日、曇
 8時起床.眠れなかった。少し寝汗をかいた。9時集中治療室前まで行き中を窺うも全くわからず、10時再度行く。看護婦が手を握ってごらん、開いてごらんと言っているのが聞こえる。妻を見ることはできない。様子では反応が無かったようだ。
 島田市農協の沢本畜産課長が病院まで来て下さった。今日会う約束をしてあったが、今回の事で連絡が取れず、全く知らずに家まで来たところ、向かいの家で事情を聞き、病院まで足をのばして下さった。宏政君に家までパソコンのフロッピーを取りに行ってもらい手渡す。いらぬ心配をおかけしてしまった。 
 藤枝から母が来た。妻のことを心配して泣いてばかり、無理もない。
 昼頃、家に帰った。22日の子供達の遠足の支度、やっとのことで、水筒.リュックサックを探し出すが、レジャーシートが見つからなかった。
 着替え、印鑑を持ち出そうとしたが、慌てていたた忘れて来てしまった。宏政君に取りに行ってもらう。
 家の中がきれいに掃除されていて恐縮、何から何まで実家のお世話になるしかない。ただ感謝。
 3:00pm智幸と面会。私の呼び掛けには弱い反応だったが、智幸の声には目が開き眼球が動いた。頭に入っていた管ははずされていた。尿量は昨日より多くなっている。
 6時半の面会、妻の母と入る、最初は声をかけても何も反応しなかったが、肩を叩き、妻と呼ぶと始めは目を薄く間けた。その内左目だけが大きく開き、声の方向に眼球が動いた。右足をしきりに動かす。母の手を右手で握り返したようだが左手には全く力が入っていない。ウーッ、ウーッと吸入マスクの下で声を出す。
 何か言いたいのだろうか、とにかく毎日病院にいる、子供達も毎日来ている、家の事は心配いらないからガンバレというしかない。顔の右半分かかなり腫れてきた。意識がいつになったら戻るのか、それとも戻らないのか、どうしようもない自分に情けなくなってくる。
 
4月21日、月、曇
6時30分起きる。昨夜は早く寝たが、夜中に何回も目が覚めてしまった。妻のいる4階まで昇るのに息がきれる。8時30分集中治療室の前まで行くが中の様子はわからない。ナースセンターのホワイトボードの妻の名前の横にCTと書いてあった。
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 昼過ぎ家へ戻る。シャワーを浴び、着替え。家に入ると何となく気持ちがだめになる。妻のスリッパ、洗面台に置いてあるヘアピン、台所、病院での姿とオーバーラップしてしまう。
 初江伯母さんから頂いたトマトを食卓に座って食べる。妻も本当のトマトの味がするものが好きだった。俺ばかり食べてゴメンと言いながら口へ運ぶが無性に悲しくなる。 家に入るのはやはり妻の姿を思い出しつらい。早目に家を出る。絶対歩いてこの家に連れて帰ると誓う。
 宮野さん、2時頃来てくれる、会社は休みとのことだが恐らく休んで来てくれたと思う。妻のことは勿論、私のことも心配だと言ってくれる、有難い。親戚の皆さんもしきりに私の健康が心配だと言ってくれる今のところまだ体力には自分でも余裕が有ると思う。3時すぎ学園がみえる。学園の仕事の方は全く皆の好意にすがるしかない。労力が一杯の中で一人減ってしまい申し訳ない。仕事、生徒も心配だが今の場合甘んじて許してもらおうと思う。
 3時の面会、反応は昨日と余り変わらないが、何となく言うことに対しうなづくような気かする、途中しきりに口を動かす。苦しいのか、何か言たいのか、唾液を自力で飲み込んだ。人工血漿が吊してあった、6時過ぎ田辺御実妻来てくれる。
 6時半の面会には宏政君と義父に行ってもらう。宏政君が声をかけたら聞きとれないくらいの小さなこえで、ヒロマサと言ったのではないかとのこと、朗報として聞いた。
 宮野さん、田辺さん、8時過ぎまで居てくれる。妻のこと、私のこと心配かけて申し訳ない。同室の篠原さん、今日は目をあけて頷いたとのこと。手術後5日目の出来事。同室の方の快方は励みになる。妻も5日目にはもっと良くなるだろうという目標になる。とにかく、久子ガンバレ、カンバレ!。
 信幸、智幸明日は遠足、楽しく行ってきて欲しい。智幸がなんとなく悲しそうだ、夜も眠れないのか病院で寝てしまった。子供達もなんとかがんばって欲しい、宏政者、子供を送ってくれた後、再度病院まで来る、銀行口座の注所変更の件で頼んであったのだが.印鑑照合の結果がダメとのこと、私の探した印鑑全てが合わない。知っているのは妻だけ。とにかく銀行へ電話し、残高不足の場合は連絡してくれるよう頼んだ。農協の口座引き落としは初江叔母にお願いする。妻の雑用も多かったことをこんなときに理解するなんて・・・。
 
4月22日、火.雨
 7時20分頃起床。昨夜は眠れなかった。夜中に2件の救急患者が入り、手術をやったようだった。その騒ぎでほとんど眠れなかった。特に4時ころのときには完全に目が覚めてしまった。
 9:00集中治療室の前まで行くと、妻の名札がない。看護婦さんに聞くと、8:30頃個室に移したとのこと、夜中の急患の為、ベツドを空けなければならなかった為の措置であり、個室に移ることは程度が良いという意味に受け取ってくれて良いとの説明だった。
 午前中、駐車場の車の中で少し寝る。風間さん御夫妻見える。妻のこと、私の健康のこと。特に私がしょげているのではと心配してくださっていたとのこと、昼過ぎまでいて下さる、奥さんからタバコの吸い過ぎだとお小言を頂戴した。
 3時の面会、今日から7時まで病室に居てもよいとのこと。室に入ると両目が開いていた。目は見えているのかと聞いたが答えの兆候はなかった。口が盛んにケイレンする。大丈夫だろうか心配になる。4時過ぎ、リハビリの方が来て手足を動かす。とにかく負けるな、自分に負けるなど繰り返し言うだけ。外は茶畑。新茶の茅ぶきか始まっている。
 7:30、体温37.7℃。口のケイレンが激しく。当直の藤巻Dr.に症状を告げたら「そんなこと分からない、主治医に聞け」との回答。この病院の性格を垣間見たような気がする。18日以降主治医と接触する機会があっただろうか、19日に話は無いのかと聞いたら、当病院はそのようなシステムにはなっていないと言った。それでもこの時は手配をしてくれ話を聞くことができた、それ以後は全く接触する機会がなかった。聞きたくても聞けないようにしてある病院ではなかったのか。この点ではイライラ、不安倍増する病院である、病院のあちこちに「院訓」なるものが掲げてあるか、なにか空々しい。
 今日から付添いはいらないと言われた。術後1週間は待機していろと言ったはず。また付添いの必要の有無はDr.から言うと説明されていたはずだが、言ってきたのは看護婦長。何の邪魔もしないでいるつもりだし、完全看護だからとの説明には余りにもお粗末な看護に不安を感じているのだと正面から言ってみたら今週いっぱいは室で付添って良いことになった。
 18:00妻の手を握っていると、私の手のひらに指で字を書くような仕草をした。ナースルームから五十音表を借りて来て指差させるが良くわからないので鉛筆を持てるかと聞くと頷くため、紙とペンを用意したところ、字を書いて意志表示をした。ミミズのはったような字だが、頭がいたいと読めた。堰を切ったように次々と書いた。牛乳が飲みたいとか.仕事を休まないで欲しいとか.おそらくもうろうとした意識の中で書いていたのだろう。口、尿道にカテーテルを入れられて、頭には血がこぴりついているのに、ここまで来たかと神に感謝する。
 字は途中で止めさせる.酸素吸入マズクの下の妻の息が荒くなった。夕方の面会に来て下さつた方々が帰る時妻が小さく手を振った。
 
4月23日、水、晴
 昨晩から初めて個室に泊った。ずっと一緒に居れるが睡眠からいえば、ロビーの方が眠れる.看護婦さんが頻繁に出入りする。
 付添いの条件で寝るだけではないと言った手前グッスリ眠るわけにいかずかなりの睡眠不足。朝から妻は字を書く。オハヨウと言ったらかすかな声でオハヨウと答えた。保険証のある場所をタンスの絵を描いて示した。右手の指で丸を作り金の心配をしてくる。いらぬ心配をしないで自分の頭を回復させることだけ考えろと言ってやる。8時過ぎまで部屋に居たが.車の中で10時頃まで寝る。ロビーに戻ると義母.初江叔母がいる。家でゆっくり寝ろとかなり強く言われ帰宅。シャワーを浴び、畳の部屋でシュラフをかぶって寝る。
 15時10分頃まで寝てしまう。あわてて病院へ戻ると手術のとき着せられるような格好で出ていったと聞き、再手術かと急いで手術窒のある3階に行く。結果は血管像影で一安心。一時は最悪のことを考えてしまった。この結果で手術後の経過がはっきりするはずだ。
 家に帰っている間、A4の紙に2枚字を書いてあった。金のことを相変わらず心配している。肩と首か痛いとも書いてあった。
 夕方、吉野課長と出雲さん来てくれる。妻の心配をしてくれる一方、仕事の事は考えなくていいと言ってくれる.出雲氏には全てを任せたまま無理をかけてしまって申し訳ない。
 面会で子供達は遠足の話をする。何を言おうかと考えて来たのだろうしっかりと話が出来た。特に智幸は舌の裏に大きな水疱ができ、食事も満足にできないのに妻が心配するからと、それをさとられないよう痛さをこらえて大きな声で話をした。子供ながら精一杯の努力に横で見ていて目頭があつくなる。
 看護婦室の前を通った時Dr.から3時のX線の結果を説明すると言われ聞く。手術前と3時のフイルムを比較し説明してくれた。手術後は一応血流が認められるが完全に上行流は回帰していない部分がある。
 説明では手術前の撮影後から手術までの間に塞栓が動き、さらに上部で栓塞を起こしたことが考えられるとのことであった。但し側副路があり、塞栓の上部へは下行流を含めて血液が入って行っている。原発の栓塞部分は血管が細くなっている。切開、縫合と施してあるので当然だが、Dr.は心配ない、復帰するはずとのこと。また還流の結果出血した所はまだ浮腫がある。CT像でも炎症と細胞浸潤だろう黒くなっている、このため右脳室が圧迫され若干変形している。対症としてはグリセリン投与、口のケイレンには2日前から投薬しているとのこと、但し有効血中濃度に急激にもっていけないため4日ほどたってから効果が出るはずとのことであった。11時までロビーに泊っている篠原さんと話こんだ後付添いを義父と交代。
 
4月24日、木、晴
明け方4時少し過ぎ、急患が入ったのでA08号室から、A03の6人部屋へ移って欲しいと言われる。ベツドに乗せかえ、点滴、酸素吸入マスクをつけたまま移動する。03には2人しか人っておらず、就寝中のところを起こしてしまった、ICUから個室、個室から大部屋へと移動してるわけだが.これの理由が妻の回復に応じての移動でない。いずれも後から入った愚者さんに押し出された格好になっている。Dr.の判断があればこその結果であろうが、妻の回復に影響が無ければ良いがと思う。03号のお二人の方は、自分で歩けるし、食事も普通の物を食べているが、妻は酸素吸入に胃カテーテル、点滴と余りにも差が大きすぎる。
 6:40頃字を書く、右肩の痛みを訴える。字や、内容はまだまだ不完全、かなり推測しないと内容がわからない。
 昨夜智幸が病院に来た時、舌の裏のできものが大きくなったと言ってきたため、下校後病院へ連れていく、いぼ状のものを切除したが血管を切ったため血か飛び医者にまでかかる。ヘボ!。3針縫合。今夜の食事と痛みが心配。
 妻、今日も発熱。夕方、ラジオアイソトープの検査に行く、少し動かし過ぎと思ったりする。頭痛と肩痛をしきりに訴える。熱が出ると頭が痛くなるようだ。夜は初江叔母が妻の横に寝る。
 22時頃、智幸の様子を見に帰る。痛くて眠れないと言うので宏政君が救急医療センターまで行ってくれた。鎮痛剤をもらい飲ませたらやっと寝た。
 付添いを途中で交代する積りだったが朝まで寝てしまう。
 
4月25日、金、晴
 6:30起床。智幸のことが心配のためすぐ家に帰る。痛みは半減したとのこと、自分で登校する積りになっているので安心。
 兄弟そろって学校へ行く後ろ姿を久し振りに見送った。何となく背中が寂しそうだった。この子供達のためにも何とか回復させなければと思う。
昼前妻抜糸。酸素マスクを取り除く。水を飲ませると小さい声で「おいしい」と言った。入院後初めて口にするものだった。
 声がなかなか出ないため意志表示に字を書かせるのをやめる。腰の痛みと頭の痛みを訴える。体温37.2℃、グリセリンとセファロスポリンの点滴が続いている。良く眠る.常人が起きているよりいるよりも疲れるのだろう。左手の握力僅かだが感じられる。焦らずじつくり回復させていきたい。
 入院後初めて体を拭いた。左手がわずかに働く。指は動かないが、ヘツドに横たわる手を引き寄せるような動作をする。夕食が今日から出た、オカユ茶碗に半分。レタスとマヨネーズ.豆腐のいためもの、寝たままの状態で食べさせる。1週間なにも食べていないためかおいしそうに口にした。お茶も本当においしそうに飲んだ。1週間前を思い良くぞここまで回復したと思う。信幸達が来た時声を出そうとする。今夜は孝政君が泊ってくれる。
 
4月26日、土、曇
 昨夜、ロビーで篠原さんと話をしている時、同室の小林さんの付添いの方があわてて私を呼びにきてくれた。妻がうつぶせに寝てしまっているとの事、あわてて4階まで駆け上ると看護婦さんが元へ戻しているところだった。これが原因で左手の点滴針がはずれ他の場所へ打ち直し。朝食はオカユ、はんぺん、たくあん、味噌汁、牛乳。意識が戻って以来ずっと飲みたがっていた牛乳がやっと飲める。
 昨夜は交通事故の6才の女の子とお婆さんの2人が相前後して救急車で運ばれて来た。妻もあのようにして入院したのだと1週間前を思い出す。
 9時過き家に帰り風呂に入った、シャワーは2回浴びたが風呂は久し振り、気持ちが良かった。13:30頃まで寝てしまう。
 病院へ戻ると妻も寝ていた。起きてから首、腰、肩が痛いと訴える。今日は筆談を一切やらせないようにする、完璧ではないが本人もしゃべろうと努力している。ゆっくり一語,一語発音するように言う。
 今日は宏政君が泊ってくれる、夜中1時30分頃寝ている時.宏政君か来てくれてべットが濡れていると起こしてくれる。妻が点滴の管をはずしてしまい、ベツドにしみていた。 付添いの付添いをしてもらったり、ベットに点滴してしまったり、全くしまらない夫婦だ。
 
4月27日、日、晴/曇
 6時起床、6人部屋の中に患者は3人、付添いさんも全て女性、その中で男一人。眠い目をこすりながら起き上るが意識は完全には覚めない。
 しばし頭の中がボヤーッとしている。妻は相変わらず頭痛、首痛、腰痛を訴える。入院してから9日目、自分で体の位置を変えるのもままならないのだから無理もない。マッサージをするがなかなか治らない、義妹と交代し帰宅。セブンイレブンのおむすびがこのごろの朝食。天気が良かったので家の戸を開ける。あとの留守番は宏政君にお願いする。 妻の実家の広縁で横になっているうちに寝てしまう。藤枝の母と兄嫁が来たのも知らなかった。目が覚めた時は昼食の時間だった。支度は全て義母にやってもらう。義母にも労力負担が大きい。
 この日の朝食妻は半分ほど食べた。さっちゃんから電話があり、妻がリンゴとイチゴを食べたがっているから持って来て欲しいとのこと、光義さんがさっちゃんの昼食と一緒に病院へ持って行ったところ、リンゴー個とイチゴ1パックをたいらげてしまったとのこと、食欲があるのも良いが一時に食べ過ぎるのもダメだと本人に言う。
 3時過ぎまでまた妻の実家で寝てしまう。病院へ行ったが、藤枝の母と秀子さんとは行き違いだった。
 夕食はおかずが足りなくなりお粥を半分ほど残す。口の中にかなりの物が入ったので大便を早く出す努力をするように言うと、やってみるという。何回かやってみるがダメ、出たい気持ちはあるのだろうがかなり便秘しているのだろう。下剤の投与を検討。
 ベツドの上で便が出なければ、起こして車椅子を使ってトイレヘ行っても良いとDr.が言うので背中を支えて起こしたがめまいがすると言って数秒と起きていることが出来なかった。これから少しづつ慣らして行かなければ駄目だろう。しかし、Dr.が車椅子を使って良いと言うことは又一歩程度が良くなっていることになる。
 今日、篠原さんのおじさんか新潟に帰った。私の居ない時挨拶にみえられた。お互いにかんばりましょうとの伝言があった。集中治療室に居た時、その前の手術中の時から篠原さんは妻の目標だったし、いろいろ病院のことを教えて下さった。看護していて篠原さんの存在は大きかった。勿論今でもそうだが.篠原さんには大いに感謝しなければならない。弟さんも毎日お母さんが心配で病院へ来られる。必ず良くなると思う、又、良くって欲しい。たまたま妻のほうが回復が早いだけにすぎない。私も何か回復の兆しがないかと病室の前まで行きドアのすきまから中を見させてもらう。
 夜.泊るつもりだったが今日は絶対家に帰れと言う周囲からの声に甘えさせてもらい、18日以来初めて家で夜を過ごす。妻がゆっくりと眠れることを祈る。そしてまた朝病院で会える事ができ快食、快便できますように。
 
4月28目、朝濃霧/雨
 昨夜は子供達とふとんを川の字に敷いて寝た。9日間母親のいない、父親も病院にほとんど行き放し、しかも義父の家とはいえよその家に世話になり、子供なりに神経を使っているのではと思いい暫く寝顔を見ていた。朝も登校する後ろ姿を見送ることができた。
 私は今日から出勤する。妻には申し訳ないが、仕事をしている間は病院のことを忘れる。18時頃病院へ行く。暫く一緒にいて、一端家へ帰る。夕食を食べ明日は休日のため病院に泊まる。今日の妻の会話は接続詞が入り、はっきりしてきた。夜中の2時に義父と交代する。頭が痛いと訴えるため、氷嚢を使う。
 言葉がとにかく問題だ。左手、左足の機能は徐々に戻ってきている。左手の握力も僅かだが感じる。リハビリ担当の方が妻の書いたものを持って行き、左利きか又は左利きが一族の中にいないかと質問した。右脳の障害で言語の回復がなぜ遅れているのか疑問なのだろう。はじめて便が出た。まずは一安心。
 
4月29日、火、晴
 6時起床、眠い。朝食の前に時間をかけて除々にベットを起こす。最終的に60度;位まで起こす。初めて外の景色が見えた。新緑、新茶、生きていて良かったと言う。出されたご飯は全部食べた。牛乳も全部飲んだ。鼻カテーテルを早く取りたいから食べる努力をしているという。
 尿の中にかなりの浮遊物が見られる。膀胱炎の兆候、尿道カテーテルを入れていたための結果。この処置もしなければならないだろう。夜、膀胱内洗浄。
 
4月30日 尿道カテーテル取る。
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5月2日  トイレに車椅子で行く。
5月3日  車椅手でトイレに行く途中、支えて歩いてみようとしたが途中で足がつる。
5月4日  トイレには全て歩いて行く。10m足らずだが3,4分かかる。午後晴れたので車椅子で玄関から外に出る。入院後16日振りの外の空気。
 げんきんなもので、回復するにつれ日記に書く量が減っている。それにしても、4月30日からの妻の回復には目を見張るものがあった。毎日、出勤前に病院に寄り朝の特訓と称して病院前の駐車場に行き歩行練習を行なった。始めの頃は車椅子に乗り、エレベーターを使って4階から降りていたが、まもなく階段を歩いて行くようになった。
 外に出るたびに生きていて良かった、草の一本一本にも有難さを感じると言っては涙を流していた。昼間は寝ているか、同室の皆さんとおしゃべりをしているようだった。同室だった時田さん、小林さんには特に色々と励まして頂いた。そのうちに篠原さんもーケ月以上の昏睡から意識を回復され、集中治療室、個室、隣の大部屋へと移ってこられた。
 
5月18日(日)
 外泊許可。畳の感触。絶対連れて帰ると誓った家に入る。妻のスリッバを入院以来ずっと玄関にすぐ履ける形で置いてあった。救急車で連ばれ.手術中最悪の事態を心の片隅で覚悟していたことを思い出し本当に感慨無量だった。

 5月30日
 5月25日の外泊も経験し、今日退院。そのまま妻の実家に家族4人が世話になる。寝たり起きたり、少し疲れるとすぐ発熱。何かに少しでも心を動かされると涙が止らないといった状態がしばらく続いた。通院は1週間毎、リハビリも一緒にやって来る。本人は再発を一番恐れている。周りもしばしはどのような日常生活を送らせれば良いかわからず、腫れものに触るような生活だった。子供連はやはり母親がいたほうが子供らしい。 顔が穏やかになったと感じた。妻は子供のためにも死んでたまるかと、もうろうとした意識の中で思っていたと言った。

 
7月26日
 子供達が夏休みに入り、日中もお母さんと一緒に過ごす事が出来るため、自分達の家に戻る。入院以来ちょうど100日目。

 炊事、洗濯、掃除と家族全員の役割分担。子供たちの料理の腕前もだいぶ上った、食器洗いは主として子供の分担。お父さん作る人、僕達洗う人、お母さんは食べる人と相なった。 子供達は風呂の準備も担当となった。風呂に入るときは、さっさと洗濯機に着ていたものを放りこみ、自分達で回している、考えなしの行動を取り、殴ることも度々あったが妻の一件で、自分から考え、行動しなけれはというものが、少しは身に着いできたようだ。
 いずれにしろ、子供連の協力がなけれはやって行けないのは事実である、そのために子供の自由時間が減少しているのも事実であるが、決して、将来損をするといったことはないと確信する。
 
 10月28日
 夕方帰宅して妻と話をしている時,突然けいれんを起こし倒れる。病院へ連絡しすぐ車に乗せ向かう。再発かと心の中は真っ暗。到着後すぐCTを撮り、結果は単純姓のけいれんとわかり一安心、脳の中の助からなかった部分が所謂けいれんの巣になっていると言われた。8月ごろから抗けいれん剤の量を減らしていたとのことであった。このため、量を元に戻すことになった。

 今の妻は倒れる前と総合的に比較して50%.甘く見て60%位と思う。家では、機能だけでなく、知能の訓練もやらなければならないところを惰ることが多い、気持ちも、回復するぞといった前向きのものよりも、再発しないだろうかとかいったことに向いている。なんとか、除々にでも回復する努力をして欲しいと思う。足も退院直後より引き摺り方が目立つように感じる。筋肉か癒えてしまう前にやらなけれはダメだと度々言っている。
 長い目でみなけれぱと思っていても、ついついはがゆさが先にたつことも多い。
 妻の入院で色々な人との出会があった。良い人達ばかりだった。そして、感謝する気持ちを教えられた。病に臥している人間どうしが故の連帯感.その人達からの励ましの言葉の持つ力の大きさを改めて感じさせられもした。
 妻もこのことを私以上に感じ取っていた。静岡新聞に感じるままを綴った拙文が掲載され、見も知らぬ方々から励ましのお便りを頂いた。つくづく、人の心の温さを知らされた。
 妻自身も、余りにも大きな試練だったが得難い体験だった。また、私も子供達も人間の生き方として沢山の事を学び、教えられた。やはり神様から与えられた教えだったかもしれない。
 この上は、Dr.から言われた「天野さんは命拾いをした」という言葉を、生まれ変わったことと思い、妻には長生きして欲しい。
生きるということの素晴らしさを何時でも胸に抱いて行きたい。私も,子供達も、勿論妻も。

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 発病後、そう言えば・・・・、なぜ発病の前駆症状と気がつかなかったのかと悔やんだことがあります。

 早めに脳外科の診察を受けることは決して損ではありません。保険の無駄使いなどと考えずおかしいと思ったらすぐ病院へ行きましょう。また、少々費用がかかりますが、脳ドックを定期的に利用するのも予防のためには必要だと思います。

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- イタリア製

サイズ: W 54.0 x H 34.0 x D 16.0 cm

カラー / 品番:
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※ ご注文前に必ず在庫の確認をお願い致します。








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◎頭痛と吐き気
   
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◎顔色
   
妻の場合青白いというより、浅黒い顔色でした。
◎ストレス
     
不平、不満を内に秘めず発散することが大事です。妻の場合、些細なことで激高することが多くなったように思います。
◎遺伝
   
妻の父は1995年にゲートボールをやっている最中、脳梗塞で倒れ、そのまま亡くなりました。医学的にどうかは不明ですが遺伝的なものもあるのかなと思 っています。

 視野が狭くなる、言葉につまる、物を落とすなどの症状は妻の場合見られませんでした。
 脳梗塞の一つの原因として心臓でできた血の塊があげられますが、妻の場合発病前に心臓の異常を現すような症状は全くなく、発病後の定期的な24時間記録のホルダー型心電図でも全く異常がありません。

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